
今でいうMMA、Mixed Martial Artsが本格的に始まったのは1990年代初頭と言われている。
もともと異種格闘技と言われているぶつかり合いはイベント的に行われていた記憶がある。
その異種格闘技がメインで行われる大きい興行の先駆けはUFCだった。
大会のコンセプトは「バーリトゥード」。ポルトガル語で「何でもアリ」。
目つぶし、金的、噛みつき以外は何でもアリ。
決着は判定なしのノックアウト、タップアウト。
体重制限もなければ、グローブやレガースの着用も自由だった。
これってもうケンカじゃね?
なんだか悔しいので「ケンカ」と「格闘技」の違いを探していこうと思う。
目的の違い:自己鍛錬があるか、直情的な行動か

格闘技の特徴としてぶつかりあう=試合までの行動として、技術の向上、肉体と精神の鍛錬、そしてルール内での勝利を目指す努力がある。
選手たちは、長期間にわたる厳しいトレーニングを通じて、自身の能力を高め、洗練された技術を習得する。
試合においては、定められたルールの中で、互いの技術と精神力を競い合い、その結果として勝敗が決まる。
相手へのリスペクトやフェアプレーの精神が不可欠であり、勝利は単なる優劣の決定ではなく、鍛錬の成果をぶつけ合うのが試合じゃないかと思う。
これが格闘技、競技としての特徴じゃないだろうか。
一方、ケンカの特徴は、感情的で衝動的な行動が基で、個人的な恨みのようなネガティブな感情から始まる。
論理的な解決を試みるのではなく、暴力によって相手を屈服させたり、自己の主張を通したりすることが目的だったり。
そこには、相手への敬意やルールといった概念は希薄であり、感情的な激しさや暴力の強さが重視される傾向にあります。
あくまでも感情的な行動のかたまりが「ケンカ」なんだと思う。
ルールの存在:秩序に基づいた行動か、無秩序な振る舞いか

格闘技が成り立つ条件として最も明確なポイントが、「事前に決められたルール」が存在すること。
これはケンカと格闘技を分ける最重要なところ。
競技の種類にごとに反則行為や禁止された攻撃部位、試合時間などが明確に定められており、選手はこのルール内でしのぎを削っていく。
そこに存在するのはルールを監視するレフェリー。
レフェリーは試合を監視し、ルール違反があった場合には仲介して勝敗に関わっていく。
レフェリーがいることによって、格闘技は単なる暴力ではなく、スポーツとしての側面を持つことができる。
選手、競技者たちは、ルールの中で自身の技術を最大限に発揮し、戦略を練り、時に知的な駆け引きをで相手を越えていこうとする。
対照的に、ケンカには明確なルールは存在しません。試合開始のコールも終了のタイミングも本人たち次第。
場所や時間、攻撃手段など、あらゆる要素が予測不可能であり、時に凶器をつかっちゃったり。
相手の安全を考慮することはなく、多数対多数や集団でのリンチなど、非人道的な行為に発展する可能性もある。だってルールがないのだから。
ルールがないということは、力の強い者が一方的に弱い者を痛めつける結果につながりやすく、公平性や正当性は存在しません。
ケンカは勝ち負けの基準も本人たち次第。
そして、対戦したレコードは残らない。
精神性の違い:相手への敬意か、敵意か

格闘技には、単なる肉体的な強さだけでなく、崇高な精神性も求められる。
選手たちは、日々の厳しいトレーニングを通じて、忍耐力、集中力、克己心といった精神的な強さを磨いていく。
鍛錬を重ねることで対戦相手への敬意、レフェリーや関係者への感謝の念、そして敗北を受け入れる謙虚さが芽生え、試合相手を尊重する気持ちが身につく。
試合後には、たとえ激しい戦いを繰り広げた相手であっても、互いの健闘を称え合う光景が見られます。
一方、ケンカにおいては、相手への敵意や憎しみといったネガティブな感情が原動力。
相手を傷つけたり、屈辱を与えたりすることに喜びを感じるような、破壊的な衝動からくる。
勝利を得たとしても、そこには達成感や誇りといったポジティブな感情は少なく、むしろ後味の悪さや罪悪感が残ることがあります。
うん、ケンカしたことないから知らんけど。
社会的な意義の違い:スポーツとしての価値か、迷惑行為か

格闘技は興行、スポーツとして社会的に認知されていて、プロモーションでチケットを売られたのち開かれる、観衆が求めるぶつかり合いだと思う。
格闘家は、その鍛え抜かれた肉体と技術を観客をに見せる。
観客は感動や勇気をもらい、試合の内容を語り合ったりする。
大会が続いてくことで名勝負が生まれ、語り継がれていく。
名勝負が伝播していき、選手へのあこがれから後へ続く選手が生まれて、また名勝負を生んでいく。
アツい。
対照的に、ケンカは社会の秩序を乱す行為であり、違法。
暴力行為は、治安が悪くなるし怖い。
裁くのはレフェリーじゃなく警察になる。
勝負に勝っても両者が違法なので権威もない。正当性は難しいし社会的な意義は薄い。
一部、憧れちゃう人はいるかもだけど。
技術体系の違い:技術か、暴力か

格闘技は、それぞれの競技ごとに長年にわたって研究・発展してきた、洗練された技術体系を持っている。ここが重要。
よく言う「打、投、極」における技術が存在し、選手は技術を習得しトレーニングを積み重ねていく。
試合では、これらの技術を駆使し、身に着けた技や技術をぶつけ合う。
時代をこえて洗練された技術を伝え、引き継がれていく。
試合内容も進化し、新しい技術が生まれていく。
一方、ケンカにおいては、特別な技術や訓練は皆無。
殴る、蹴る、掴むなど本能的な動作が中心となり、技術的な洗練さや戦略性はみられない。
力任せの攻撃や、相手の隙を突いた不意打ちなどが多く、謎の飛び蹴りなど粗暴なものになりがち。
実際には不良マンガのケンカのようなキレイな描写は見たことがない。
酔っぱらいのケンカ動画にテンションは上がっても見入っちゃうようなことはないよね。
まとめ:ケンカと格闘技の決定的な違い

格闘技とケンカは、どちらも力と力をぶつけ合うという点で共通しているように見える。
圧倒的に違うところはルールの有無、技術体系、観客の存在だと思う。
格闘技には自己鍛錬と競技性があり、ルールの存在やビジネスの側面がある。
興行として存在していることもあるので「観客が求めている」ということが一番大きいのじゃないだろうか。
ケンカを一言で表せば「違法な暴力」。
様々な団体があり、ケンカに似せて非日常感を売りにするところもあったりはするが、そこにはルール、レフェリーが存在する管理された戦いがある。
パっとみて殴りあったり投げてみたりで同じように見えてしまうことはあると思う。
研ぎ澄まされた技術を見続けていくと「暴力」が「技術」に見えてくる。
格闘技は楽しいぞ!って言いたかっただけ!
おわり!